亡き母に会いたい!親から学んだ教訓と病床の母への最期のプレゼント

5月の母の日も終わり6月は父の日ですね

私の両親はもう他界してしまいましたが、母の日や父の日になると、亡くなった父母を思い出します。

あなたのご両親は健在ですか?

きっとあなたもご両親に、愛情を掛けて育てられ、たくさんの思い出があると思います。

今日は亡き両親を偲んで、父母との思い出を書いてみました。

スポンサードリンク

子供の頃の思い出

人にはそれぞれ違った人格がありますが、それってどうしてだか考えたら、やはり両親特に母親の影響がかなりある様に思われます。

今から65年前と言えば、私の年齢の方達は戦後生まれですので、裕福な家庭は、まれでみな貧困世代ですが、その時代に産まれた人達は、みな礼儀作法には特に厳しく育てられた記憶があります。

物がない時代だから、ある物を大切に扱い、工夫して物を作り暮らしてましたね

どこの家庭も裏庭に小さな家庭菜園があり、さつまいもや砂糖きびや、トウモロコシが植わってましたし、柿やいちじくもおやつがわりでした。

又どこの家庭にも鶏小屋があり、鶏を飼ってたので朝は、鶏の声が目覚まし時計の変わりでしたね

卵は近所の方と物々交換してたので、めったに食べさせて貰えませんでしたが、病気になったり遠足の時だけ、卵焼きを食べさせて貰えるのが楽しみでした。

毎日、学校から帰ると鶏の餌になる草を、取りに行くのが私の日課でしたね

両親から学んだ教訓

どなたも親に教えられた、言葉があると思いますが、私の父親は常に「解らない事が、あったら恥ずかしがらず、すぐに聞きなさい。

聞くは一時の恥であり聞かぬは、末代の恥だと思え」と言い聞かされてました。

解らないのに、解ったふりをしてはいけないとの教えでした。

また、その当時は、どこの家庭も戦後で貧しい暮らしをしてましたが、父はいつも「上見て暮らさず、下を見て暮らせ」と言ってました.

子供の頃はどういう意味か、理解が出来ませんでしたが、自分より裕福な暮らしをしてる人を羨み、自分を不幸だと思わず自分より貧しい人を見て、自分は幸せだと感謝しなさいとの教えでした。

幸せは自分の心の中にあるという教えでした。本当にその通りですね

又母親からは、人にお世話になったら必ずお礼を言いなさい「まあいいか」と後回しにすると、自分の信用が無くなると口酸っぱく言われてました。

それと嫌だと思う事があれば後回しにせずに、先にその事を済ませて次の事をしなさいとも言ってました。

子供の頃は、「うるさいなあ」と感じてましたが、今は親から教えられた事が教訓になってます。

スポンサードリンク

病床の母への最期のプレゼント

皆さんは親孝行ってどんな事だと思われますか?

親に心配を掛けない事?  親の期待に添う事?  親を旅行に連れて行く事?  親に金銭的苦労を掛けない事?

色んな親孝行がありますが、どの親御さんも言われる事があります。

それは、子供が幸せな結婚生活を、営んでくれる事だそうです。

私の母親も認知症になる前に田舎から遊びに来て 、私達夫婦が建てたマイホームを祝ってくれ、「夫婦円満でこんな幸せな事はない」ととても喜んで帰って行きました。 

しかし、その数年後に母親は認知症になり、又同じ時期に主人が脳出血で倒れ障害者となり、せっかく建てたマイホームも手放す事になってしまうなんて、誰が想像出来たでしょうか? 

40代は私にとって幸せの絶頂でしたね  この後の私の人生は苦難の連続でした!

主人が倒れてしばらくして、母が認知症になってしまい、あんなに元気だったのに、数年で私の事も解らなくなってしまい本当に悲しかったです。

ある日、田舎の老人ホームに入所してる母を訪ねた時、自分の娘の事も解らなくなってしまった母でしたが、何か感じる物があるのか、ずっと私の手を握り離さないのがとてもふびんでした。

この時は、まだ自分で歩いてましたが、次に訪ねた時は車いすになってて、だんだん痩せて衰弱していってるのが分かりとても心配でした。

そしてその次に母の見舞いに行った時には、もう自力では目も開けられず、耳も聞こえにくくなってました。

そんな母の姿を見て、もう長くはないと直感した私は、今私が母にしてあげれる事ってなんなんだろうと考えました。

今のこの状態での母は、耳も聞こえず目も見えず、きっと暗黒の世界にいるんだろうと思いました。

私は、最後に母を心安らかに眠らせてあげたいとの思いから、イヤホンを母の耳につけ音量を最大に上げて、私とよく行った海辺のさざ波の音や、山の小鳥のさえずりをテープの音で聞かせました。

すると、苦痛で顔をしかめてた母が優しい笑顔になった時、やっと心が通じたと胸が一杯になりました。

生きてる間に、もう一度私の名前を呼んで貰いたかったし、母ともう一度話をしたかったですが、それもかなわず、その数日後に母は息を引き取りました。

今思えば、あの時に主人が倒れ、家も売却し私が苦労してる事も知らずに、逝ってしまいましたが、認知症になり何もわからない方が、かえって余計な心配をさせる事も、なかったので良かった気がします。

最後の母の脳裏には、私の一番幸せな姿だけが記憶に残っていた事でしょう

これまで親孝行らしい事は、何も出来ませんでしたが、これが私の母への最期の親孝行でした。

みなさんも、もしご両親が健在なら、今しか出来ない事をしてあげて下さいね。

今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

こちらの関連記事もご覧下さい。

「夫が倒れた!その時するべき事は冷静になり早く現実を受け入れる事だった」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です