こんにちは、miuです。
先日の西日本の豪雨災害での死者数は、13府県で200人にのぼりました!
連日の猛暑の中、今も行方不明者の方の捜索活動や、浸水した家の片づけが続いております。
日にちが経つごとに、色々な問題が出てき、改めて被害の大きさを感じます。
私の家の向かいの空き家にも、被災された方が入居されましたが、その方は68歳のご夫婦で長年勤めた会社を定年され「これからはのんびり過ごそうと話してたのに、何もかも失って途方にくれている」と言われてました。
私も出来る事はさせて頂いてますが、お気の毒で掛ける言葉もありません。
また被災地では盗難が相次いでるので、急いで住む場所だけは確保したとも言われてましたが、着のみきのまま逃げたので、家の中には家財道具どころか、下着一枚ない生活で不自由されています。
でもお二人ともご無事で本当によかったです。
あの日、多くの方が屋根に登り、救助を待っている姿が映像で流されましたが、救助隊が少なくなかなか救助に来て貰えなかった方も多かったのです。
そんな中、勇敢にも水上バイクで多くの命を救った男性がおりました。
今日はその時の、救助の様子を記事にさせて頂きました。
後輩から救助依頼が来た
あの日、内藤さんに職場の後輩の上森さんから、真備の小田川が決壊し実家が水没し始めている。
「母親を助けて欲しい」と連絡がありました。
内藤さんは、この状況を知りなんとかしなくてはと、すぐに水上バイクを友人から借りて出発しました。
昼過ぎ、泥水は民家の2階ほどまで上がり、水かさは依然として少しずつ増していました。
現場は一刻を争う状況で、木やタイヤなど様々なものが流れ、油の臭いが鼻を突きました。
この中を一人で救助に向かうのは、とても危険でした。
でも内藤さんは、救いを求めている人をほっておけないという気持ちから、危険を顧みず水上バイクを走らせました。
被災地での救助の様子
内藤さんが水上バイクを走らせていると、ヘリの音が響く中、ベランダや屋根の上に避難している人々から、救助を求める声が数メートルおきに聞こえてきました。
「助けて!」「こっち回って!」
「次行くけ、待っとって」と伝え、最初に上森さんの母親を救出しました。
取り残されている人々の多くが高齢者でした。
また屋根の上に避難してる人は、自力でバイクに乗ることができず、抱きかかえる必要がありました。
一人では到底、無理と判断し途中から地元の後輩にも手伝ってもらいました。
そして助け出した人々は、高台にある森泉寺まで避難させました。
近くの岩田忠義(ただよし)さん(73)夫婦も、内藤さんたちのバイクに助けられました。
軒下まで水が迫り、夫婦で屋根の上に避難しました。
昼過ぎに119番や110番で救助を頼んだが、助けは来ませんでした。
ヘリが近くを飛ぶ度に、タオルを巻いたさおを振って、助けを求めましたが駄目で絶望的でした。
こんな状況で、どれほど怖くまた不安だった事でしょう
なかば諦めかけていたその時です。
救助のヘリが行ってしまって数時間後でした。
「ブーン」と鈍い音が響きました。
「もしかして、やっと助けが来たのか」近づいてきたのは水上バイクでした。
内藤さんから「子どもを先に運ばせてな。絶対戻るけん、絶対間に合うけん、頑張って」と励まされ、ほっとしました。
なんとか頑張ろうと妻を励ましながら、内藤さんの言葉だけを信じ待っておりました。
しばらくして、約束通り内藤さんは来てくれました。
「本当にこの時はうれしかったです!やっと助かったと思いました。」
内藤さんに抱きかかえられ、バイクに乗りながら「じいちゃん、命がけで助けたんじゃけ、長生きしてよ。絶対で」と肩をたたかれた時は、感極まって涙が溢れました。
「内藤さんあんたはわしらの命の恩人じゃ本当にありがとう」という言葉が聞こえてきます。
困難な状況での救助活動
内藤さんは、屋根の上に3時間以上立ち続けて、足が動かなくなった高齢夫婦にも出会いました。
水は屋根の上に達していたて、疲れ切った顔で「もうだめじゃ、わしらはええけん、他行ったげて」と弱々しい声で言われた時に、内藤さんは「いや、絶対助けてやる」と思い、水上バイクをロープで固定し、屋根まで歩み寄り、水につかりながらも、夫婦が呼吸できるように高めに抱きかかえて乗せ救助しました。
そして日が暮れると、住民はライトを振ったり、笛を鳴らしたりして存在を知らせていました。
暗くなると昼間以上に救助活動が困難になりますし、救助を待ってる人々もますます不安が募ります。
また、夜中には水深が浅くなり、水上バイクの底が何かにぶつかって何度も転倒しましたが、起き上がって救助を続け、午前4時までに計120人ほどを救助しました。
途中から、避難先の森泉寺には内藤さんの後輩数人が集まり、バイクから住民を降ろす作業などを手伝ってくれました。
森泉寺によると、7~8日に100人ほどが境内に身を寄せました。
寺以外にも、希望する場所まで送られた人が20人程いたようです。
水上バイクは傷だらけになり、燃料は何度も補充しました。
それでも必死に救助を続け、最後は全身がつって動けなくなりました。
内藤さんは、一歩間違えば自らの命を落とす危険もかえりみず、まさに命がけでの救助活動だったんです!
本当に内藤さんの、勇気ある行動に頭が下がります。
その後、内藤さんが避難所で炊き出しのボランティアをしていると、救助した高齢者から次々と感謝の声をかけられました。
「それだけで、やってよかったと思った」とコメントしておりましたが素晴らしいですね
内藤さんに母親を救助してもらった、上森さんも真備町に駆けつけていました。
そして7日昼過ぎから深夜まで、釣り用のボートで救出にあたり、約100人を避難させました。
2人は現在も避難所での炊き出しや、知人の家や店舗の片付けを手伝っています。
実家の片付けも残っていますが、「自分ができることを続けて真備町を立て直していきたい」と内藤さんは被災地を駆け回っています。
内藤さん上森さん本当にご苦労様でした。
尊い命を救って頂きありがとうございました。
被災された町が一日も早く復興する事を願っております。
そしてお亡くなりになられた方々の、ご冥福をお祈りさせて頂きます。
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。