2024年7月28日に開催されたパリオリンピック、スケートボードストリート女子では、吉沢恋(14歳)が「金メダル」に輝きました!
吉沢恋スケートボード金メダリストまでの、経歴も気になりますが、父親との2人3脚での成果だという噂も流れています。父親は一体どんな指導をしてきたのでしょうか?
この記事では「吉沢恋スケートボードの経歴は?金メダルは父親との2人3脚での栄光!」と題してこれまでの経緯をご紹介します。
目次
吉沢恋スケートボードの経歴は?
吉沢恋の金メダル確定させた後のウイニングランまじで震えた…!
最後まで完璧なハリケーン・グラインドをメイク…!
これは文句なしの金メダリストですわ… pic.twitter.com/BJ3M4eS602— やまにい@元最年少ダイナースブラックカード (@yamaney_luxury) July 28, 2024
吉沢恋選手は、大会に出るたびに新技を出していき、大技の練習に取り組んできました。
父親の厳しい指導のもと、苦しい練習を続けてき、ようやくパリオリンピックで、大輪の花を咲かせる事ができました。
吉沢恋スケートボードの成績
吉沢選手は様々な大会で、以下の様な成績を残しています。
- 2022年 日本オープン 8位
- 2023年5月 UPRISING TOKYO 2位
- 2023年12月 ストリート世界選手権 5位
- 2024年5月16日 上海大会 3位
- 2024年6月24日 ブダペスト大会 優勝
そして、パリオリンピック出場資格を獲得しました!
吉沢恋がスケートボードを始めたきっかけ
吉沢恋選手は7歳の時に、4歳年上の兄がスケートボードをしてるのを見て、スケボーを始めました。
小学5年生で「ビッグスピンボード」と言う、オリンピック級の大技を習得してたにもかかわらず、自分ではそれに気づいてなかったと言うから、ただ物ではないですね~
この当時、東京オリンピック選手だった西矢椛選手に憧れ、日本選手権に出場し5位の成績を残してます。
吉沢恋の中学時代
2022年には日本代表として世界デビューを果たし、この年の7月のパリ五輪予選(ローマ)では、9位に入りましたが、この大会で頭を強く打ち「硬膜外血種」と診断され1週間入院しました。
退院後も飛行機に乗ると、体調が悪化すると言われ帰国できず、やむなくローマに1ケ月滞在する事になってしまいました。
医師や両親は競技中の怪我が原因で、滑るのが怖くなるのではと心配されていましたが、本人は怪我した時に記憶が飛んでるので、怖さは無く早く滑りたい気持ちが強かったとコメントされていました。
スケボーをする為に生まれてきた様な子どもですね~
吉沢恋の金メダルは父親との2人3脚での栄光!
吉沢恋、五輪は「通過点」 スケボーが嫌々から楽しいに変わった瞬間https://t.co/HYFZ5O8EQo
父の功さん(58)が言った。「同じ技だよな。五輪に出ても、少しは戦えるのかな」。 #吉沢恋 も思った。「そこまで遠くないのかな」。初めて、五輪を意識した瞬間だった。
— 朝日新聞 パリ2024 (@asahi_olympics) July 28, 2024
吉沢恋選手のパリ五輪の金メダル獲得までには、父親のサポートなしでは実現しなかったそうです。
吉沢恋の父親はどんな人?
吉沢恋選手の家族構成は両親、兄の4人家族です!
父親は功さんというお名前で介護士です。
母親のお名前はしのぶさんで保育士です。
お父さんの、前職は保育士でしたが、娘さんの練習に付き添うために、時間の融通が利く介護職へと転職したそうです。
吉沢恋選手の海外遠征費も半分は自己負担で、経済的にも苦しい中、娘の為に転職までしてサポートする父親には、本当に頭が下がる思いです。
吉沢恋の父親の指導法
吉沢恋選手の父親の功さんは1年前に「このままだと、恋はこれ以上の成長曲線を描けないのではないか」と自問自答していました。
これまでスケボーを始めた7歳から、娘につきっきりで指導をしてきました。
小学2~4年まではトランポリンを経験させ、優れた空中感覚で高難度の技を習得させました。
練習では動画を撮り、毎回体幹がブレていないか確認し、野球の捕手用のプロテクターを身につけ、空中で恋の体を支えながら、回転技の練習をサポートしました。
ここまでやる父親ってそういませんよね
父親が居なければ金メダル獲得は無かったと、言っても過言ではないでしょう
まとめ
#TEAMJAPAN#スケートボード 女子ストリート決勝🛹#吉沢恋 選手が金メダル🥇#赤間凛音 選手が銀メダル🥈
この種目でTEAM JAPANは2大会連続の金メダルを獲得!#パリ2024 #オリンピック#一歩踏み出す勇気を #がんばれニッポン pic.twitter.com/JagTMg7s5C— TEAM JAPAN (@TeamJapan) July 28, 2024
「吉沢恋スケートボードの経歴は?金メダルは父親との2人3脚での栄光!」と言うタイトルで、吉沢恋の金メダリストになるまでの経歴や、父親との2人3脚で歩んできた経緯についてご紹介しました。
吉沢恋選手は3年前はスケートボードが、五輪競技とは知らなかったそうです。
そりゃそうでしょう、3年前はまだ11歳ですものね
スケートボード・ストリートは、45秒間コース内で自由に滑ることができる「ラン」2本と、一発の技を競う「ベストトリック」5本を滑り、高得点のラン1本、ベストトリック2本の点数を合計して順位を決める競技です。
優勝候補だった有力選手2人が、ランで相次いで失敗した事は、日本にとっては追い風になりました。
オリンピックは本当に何が起きるか分かりません
吉沢恋選手は日頃の成果も、十分発揮できたと思いますが、きっと運を引き寄せるパワーが備わっていたのでしょう
吉沢恋選手には、まだスポンサーも所属事務所もありませんが、金メダルを獲ったことで、今後名乗りを上げるスポンサーが沢山出て来る事でしょう。
金メダル獲得本当におめでとうございます!
吉沢恋選手の今後の活躍を期待します。
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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