こんにちはmiuです。
先日イラクで拘束されてた、ジャーナリストの安田純平さんが解放されて、記者会見を開きましたが、そもそも安田さんがイラクに入ったのは、後藤健二さんの情報収集の為だったと言われてますが、安田さんと後藤さんは、面識があったのでしょうヵ?
また後藤さんがイラクに入ったのは、湯川さんを助ける為だったとも言われてますが、この事件には何か関連性があったのか調べてみました。
安田純平さんの経緯は?
安田さんは1974年生まれで現在42歳です。
埼玉県入間市出身で、県立川越高校を卒業後、一橋大学に入学しました。
1997年に地方紙の「信濃毎日新聞社」に入社して新聞記者となりました。
そして山小屋し尿処理問題や、脳死肝移植問題などを担当し、2002年にアフガニスタンとイラクを、休暇を使って取材していました。
2003年に信濃毎日新聞社を退社し、フリージャーナリストとなりました。
2004年4月14日、イラクの首都バグダッド郊外で、アメリカ軍の爆撃を取材するため、車で移動していたところ、現地の武装勢力に拘束されました。
同行していた市民団体メンバーの、日本人男性と一緒に拘束され、3日後に解放されました。
武装勢力から「アメリカのスパイ」の容疑をかけられ、民家などに監禁されたという事です。
解放後、安田さんは「身元確認を目的とする拘束で、紳士的な扱いを受けた」と説明しておりました。
その後安田さんは2015年6月下旬、シリア内戦を取材するため、トルコからシリア北西部に越境しました。しかし、予定していた7月中旬を過ぎても帰国していませんでした。
安田さんのシリア入国は、過激派組織「イスラム国」(IS)に殺害された、ジャーナリスト後藤健二さんに関する、取材などが目的だったとみられると報じています。
同じジャーナリストとして、興味があったのか?
それとも政府からの依頼で調査に行ったのでしょうか?
後藤健二さんが拘束された
後藤健二さんは「イスラム国」に拘束され、残念ながら帰らぬ人となってしまいました。
フリージャーナリストとして、たびたび紛争地域を取材してきた後藤さんですが、シリアで知り合い、先に拘束された湯川遥菜さんを、救出するためイスラム国に入っていました。
そしてシリア入りした後、「イスラム国」に拘束されました。
後藤さんは番組制作会社を経て、平成8年に映像通信会社「インデペンデント・プレス」を設立し、海外の紛争地帯などを、精力的に取材してきましたが、関心の対象は戦闘そのものよりも、紛争で苦しむ子供たちでした。
地域の子供達と笑顔で、写ってる映像もありましたが、子供達からも慕われてたのがうかがえますよね
後藤さんと湯川さんの接点は?
湯川さんは、近年はシリアをたびたび訪問し、「民間軍事会社」と称する「ピーエムシー」の、最高経営責任者を務めていました。
後藤さんが、湯川さんと出会ったのもシリアでした。
その当時、湯川さんは事業調査のために、シリアを訪れていました。
後藤さんは湯川さんから、仕事に関する相談を受け、アドバイスをしていたという事です。
紛争地域での取材経験が豊富な後藤さんは、湯川さんにとって頼りになる存在でした。
湯川さんは父親の正一さんに、後藤さんのことを話し、「誠実で勇気があり、優しい方だ」「兄貴のようだ」と慕っていたと話しておりました。
後藤健二さんがシリア入りした理由は?
後藤さんがイスラム国に向かったのは、湯川さんのためでした。
7月28日にシリアに入った湯川さんが、イスラム国に拘束されたという情報が入ったからでした。
後藤さんは取材でシリア入りし、その後いったん帰国し、1週間後、再び出国しました。
予定は1週間でしたが、わずか1カ月の間にシリアに、2回入った行動について安田さんは「普通はこんな強行軍は組まない。湯川さんの安否など情報が入ったのではないか」と話しておりました。
「危険すぎる」と、シリアガイドのアラアッディーンさんは、何度も止めましたが後藤さんは「湯川遥菜さんを助けたいんだ」「シリア人の苦難を伝えたいんだ」と言い残して笑顔で旅立ってしまいました。
アラアッディーンさんが同行を断ったため、別のシリア人ガイドを伴ってのラッカ行きでした。
この時もっと引き止めていてくれれば、後藤さんが命を落とさなかったのにと悔やまれますね
後藤健二さんからのメッセージ
後藤さんは、イスラム国入りの直前、ビデオ映像にメッセージを残し「何が起こっても、責任は私自身にあります。どうか、日本の皆さんもシリアの人たちに、何も責任を負わせないで下さい」
映像では「まぁ、必ず生きて戻りますけどね」と希望を語っていましたが、その後、イスラム国に拘束されて連絡が途絶えました。
後藤さんの妻がトラブルの発生を知ったのは「夫を拘束する組織から一通のメールを受け取った」と妻の声明には記されています。
この時の奥さんの心境は、耐え難いものだったとお察しします。
その後、後藤さんと湯川さん2人が拘束されてる映像が、流されたのを見ましたが、目の前にいる友人を救えず、事もあろうに自分まで拘束されてしまい、後藤さんの悔しさは言葉では、言い表せない程だったでしょう
そして2人は、日本政府から救いの手を差し伸べられる事もなく、尊い命が奪われてしまったのです。
「テロに屈しない」と言う、安倍総理のこの時の決断は、本当に正しかったのか、疑問に思うのは私だけでしょうか?
2人の命を救う方法は、他になかったのか今でも考えさせられる事件です。
お二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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