こんにちはmiuです。
デヴィ夫人は、バラエティ番組などで活躍されているので、多くの方がご存知だと思います。
ただ若い方達は、現在のデヴィ夫人は知っていても、デヴィ・スカルノの名前を聴いても、ピンこない方が多いはずです。
美しく聡明なデヴィ夫人ですが、若い頃は、まさに波乱万丈の人生でした。
今のデヴィ夫人からは、想像も出来ない程、凄まじい人生を歩いてこられました。
今日はそんなデヴィ夫人の過去を振り返ってみましょう
デヴィ夫人の若い頃の職歴は?
お父様は大工でしたが、多額の負債があったため、かなり貧しい暮らしだったそうです。
七保子(デヴィ)さんは15才の時に、映画のエキストラなどに出演するなど、アルバイトをしていました。
中学卒業後は定時制高校に進学しましたが、同時に倍率150倍の超難関を見事に突破して、保険会社に就職しました。
保険会社の仕事をこなしながら、七保子(デヴィ)さんは、家計を助けるため喫茶店で、アルバイトもはじめるなど、Wワークで頑張っていました。
さらに夜は定時制高校に通うという多忙な毎日・・・
健康であると共に、強固な精神がなければ出来なかったでしょう。
凄く頑張り屋さんだったんですね
昼は保険会社と喫茶店を掛け持ち、夜は定時制高校に通うという、めちゃめちゃ忙しい毎日を送っていた七保子(デヴィ)さんですが、そんな時お父様が亡くなられ、お母様の生活を助けるために高校中退します。
そして高校を中退した七保子(デヴィ)さんは、東京赤坂にあった「コパカバーナ―」という、高級クラブで働き始めたのです。
とにかく七保子(デヴィ)さんは、何とかお母様を助けたいという一心で、選んだ仕事でしたが、この高級クラブで働き始めたことで、運命が大きく変わり始めるのです。
スカルノ大統領との出会い
高級クラブで働きだした時、ある人から「七保子さんに会いたいと言う人物がいる」と告げられました。
そして約束していた待ち合わせ場所に現れたのが、インドネシアのスカルノ大統領だったのです。
当時のインドネシアは独立したばかりで、スカルノ大統領は資金援助などを、取り付けるため日夜奔走していました。
そこではじめて七保子さんは、スカルノ大統領と運命の出会いをします。
七保子さんがインドネシアに渡る
この後間もなく、まだ19才の七保子(デヴィ)さんは、インドネシアの開発を支援する「東日本貿易」の秘書として、スカルノ大統領の元へ向かいました。
この時陰で動いていたのが、政財界に顔が効くフィクサーと呼ばれていた、児玉誉夫氏だったともいわれています。
そして類まれなる美貌と聡明さを、兼ね備えた七保子(デヴィ)さんの運命が、この時から大きく変わっていくのでした。
七保子(デヴィ)さんが、「東日本貿易」の秘書として、インドネシアのスカルノ大統領の元へ旅だったのは、まだ19才でした。
この若さで、日本や家族から離れ遠い異国の地に、愛人として行くのには相当の覚悟があったはずです。
それでも決断したのは、大統領からの熱心な求婚と、巨額の富への執着だったんでしょうか?
七保子さんがインドネシアに、渡った後にお母様が亡くなられ、それを追う様に弟さんも亡くなってしまいました。
これで七保子さんは、天涯孤独になってしまいショックは、とても大きかったことでしょう
でもスカルノ大統領の力になりたいという、強い思いがあったから帰国せず、インドネシアの地に留まったのでしょうね
やはり何かを成し遂げる方は、はんぱじゃないですね
ここから先の、デヴィスカルノとしての波乱万丈記は次の記事をご覧下さい。
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
コメントを残す