こんにちは、miuです。
人の人生とは、本当に解らないものです。
自分の人生は、自分で切り開いて行く事は、可能ですが人との出会いで、良きにつけ悪しきにつけ、人生が変わってしまう事があります。
私の場合も、旧友との再会により、自分の意思とは関係なく、自分の人生が大きく変わって行きました。
まさか自分が、エステテシャンの資格を取り、今日迄その仕事をするなんて、夢にも思いませんでしたが、今振り返ると、技術を習得したのはあの時友人と再会し、意見が衝突し意地と努力で、築きあげた宝物だと思っています。
エステの、仕事をする様になって、随分色んな事を学び、多くの方達と出会い、自分が必要とされている喜びを感じ、今となっては友人に感謝しております。
旧友との再会
主人が、脳出血で倒れて3年がたったある日、OL時代の仲間だった友人2人が、心配してくれ九州からわざわざ私を、励ましに来てくれました。
40年振りに、会う友人達は50代には見えず、とても若々しくて、生き生きと輝いてました。
それに比べて、私は介護疲れでくたびれ果てて、随分ふけたなあと情けなかったです。
「今何してる?」と聞いても、私の問いかけには答えず「これから貴女をいい所にご招待します」と言う
いったい何処へ行くのかしら?と思いながら3人で食事をしました。
友人の美貌の秘密
久し振りに3人でランチをして、思い出話に花咲かせた後、タクシーでとある場所に連れていかれました。
ビルの2階に上がると、○○サロンとWell Comeボードがあり、彼女は慣れた手つきで鍵を開けました。
そこは予約制のエステサロンで、今日は彼女が2時間、使用許可を取ってるとの事でした。
そのサロンで、生まれて初めて、お肌のお手入れをして貰いました。
仕上がりは、若干あか抜けて見え、お肌もすべすべになり、気持ちも心なし明るくなりました。
友人達の仕事とは
彼女は、美顔器の代理店をしてて、全国に会員サロンがあり、今度倉敷に出店する予定なんで、一緒にビジネスしないかというお誘いでしたが、せっかくですが、私はその当時、美容には全く興味がなく、美顔器を勧められたのですが、主人の介護をしながらでは、気持ちにゆとりもなくお断りさせて頂きました。
所が、数日たって娘にその話をしたら「その仕事私がやりたいから、是非紹介して」と懇願され、しぶしぶ連絡したところ私の協力があればと、条件付きでOKが取れ、数週間後ビジネスの話が成立して、1ケ月後にビジネスがスタートしました。
この時はほんの軽い気持ちで始めてしまいました。
人生の転機がやってきた
私達親子は、その後仕事に必要と言われ、美顔器や化粧品を買い揃え、研修に入りました。
私は、営業経験が多少あったので集客し、ホームパーティ形式で、売上を伸ばしていきましたが、私の中でなぜかふに落ちない物がありました。
エステの施術無しで、マシンの購入ばかり勧めるのは、単なる物売りではないか?
エステの技術を指導してくれず、このまま美顔器だけを売り続けるのは、先が見えてると思い、意を決して彼女に疑問を投げかけましたが「ネットワークビジネスで稼いで豊かになりましょう」と、聞き入れてくれませんでした。
彼女との中が、ぎくしゃくしたまま、このビジネスを続ける気持ちにはなれず、辞める事を決意しました。
これを聞いたもう一人の友人から「貴女を騙すような結果になり申し訳ない」と美顔器の代金を同封した手紙が届きました。
お返ししようと連絡したら「心配しなくても私も、少しは稼がせて貰ってるので、遠慮なく使って頂戴!もしそれが負担になる様なら、いつでもいいから返済してくれればいいから」
友人のこの心温まる言葉に、涙しながら、いつかこのご恩は必ず返すと誓いました。
その後、高価な美顔器だけが手元に残り、ローンを組んで購入したので、毎月の返済が苦しかったのですが、友人の助けを借り美顔器代は、全額支払いましたが、このままではいけないと思い、一念発起でエステの資格を、取得する事を決意したのです。
ここから私の挑戦が始まったのです!
(この時の美顔器代金は、後に友人に全額きちんと返済致しました)
50歳でエステの資格を取得する
資格を取ろうと決めたものの、スクールに通う授業料がありませんでした。
そこで、無料で資格が取得出来る化粧品会社に、面接に行ったのですが、またしても美顔器購入と、営業活動をする事が条件だったので辞め、次の手を考えました。
こうなったらWワークで、授業料を捻出するしかないと思い、近くの老人ホームで、16時~20時迄、調理補助のバイトをする事になりました。
資格を取ったら、Wワークも辞めるつもりでしたが、エステだけではまだ生活が苦しかったのと、老人ホームの厨房が人手不足で、引き止められて、いまだWワークが続いててもう13年になります。
でも辞めなかったお蔭で、老人ホームで施術の練習をさせて頂き、後にそれが実績となり、認めて頂ける様になりました
こうしてWワークで授業料を稼ぎ、3ケ月スクールに通いましたが、1回目の試験で、初歩的なミスをしてしまい、不合格になってしまい、次の試験は3ケ月先になってしまい、くやしくて車を運転しながら大粒の涙を流しました。
そして2回目の試験で、みごと合格し、認定書を頂いた時には感無量でした。
ここから先は、開業資金もサロンも無い私が、今日まで13年もの間この仕事を続けられたかは、明日のブログでお伝えします。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
