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バレーボール高橋藍の大学はどこ?出身中学や最終学歴も調査!

男子バレーの高橋藍は2023年6月に、イタリア・セリエAのヴェロ・バレー・モンツァと契約発表しました。

2020年には日本代表にも選出された実力選手ですが、ルックスがイケメンで海外、特にイタリアやフィリピンで人気が高く、SPが5人もついてたと言うから驚きですね

今回は男子バレーボール日本代表の、高橋藍選手をご紹介します。

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バレーボール高橋藍の大学はどこ?

高橋藍選手は世界で戦う事を視野に入れて、バレーボールの知識・技術・体力を、しっかりと自分のものにしようと日本体育大学を選択します。

日本体育大学には、バレーボールのスポーツ推薦で入学しています。

高橋藍選手が大学に入学した2020年は、世界でも日本でも、コロナ禍の真っ只中で入学式が8か月後にずれ込んでいます。

しかし翌年2021年には高橋藍選手は、日本体育大学に在籍中、日本代表に選出され、1年遅れで開催された、2020年東京オリンピックにも出場しています。

高橋藍選手の目標の一つでもあったオリンピック出場は、今まで支えてくれた家族に恩返ししたいと考えていたので、その目標の一つが達成できました。

出身中学や最終学歴も調査

高橋藍選手の通った中学は、男子バレーボール部強豪校として有名な、京都市蜂ヶ岡中学校です。

中学時代までは身長が高くはなく、この時代にはリベロも経験しています。

バレーボールでのリベロは守備専門の選手のことで、センタープレーヤーが、後衛に行ったときに交代することが多く見られます。

高橋選手は中学時代は、3年間連続で日本中学校選手権に出場し、中学2年生の時には優勝しています

それでも中学時代には、バレーボールを辞めようかと、悩んだ日々もあったそうです。

高橋藍の高校は私立東山高校

東山高校は男子校で、1868年に開校された仏教系の私立高校で、スポーツがとても盛んで力を入れています。

この高校はバレーボール部・バスケットボール部、硬式野球部など、かなり強豪校として有名です。

東山高校は3つのコースがあるのですが、高橋藍選手はスポーツ推薦コースの、トップアスリートコースを選択し、部活はバレーボールを選択しています。

高橋藍選手は1~2年生の時は、ライバル校である洛南高校に敗れて、春高バレーの全国大会には出場できませんでしたが、高校2年生ではインターハイの、全国大会出場を決めベスト4という好成績を残しました。

高橋藍選手は高校3年生の時には、キャプテンとなりチームをまとめていました。

そしてその年の2020年春高バレーでは初優勝を飾っています。

高橋藍が東山高校を選んだ理由

高橋藍が進学先に東山高校を選んだ決め手は、兄の存在と同じぐらい、中島の存在が大きかったからです。

東山高校には、兄も中島健斗選手も、在籍していました。

中島健斗選手は小・中学時代から、全国制覇を成し遂げた選手ですが、トスだけでなく、アタッカーの個性や長所を生かすトスワークは抜群でした。

高橋藍選手の方が、得点すると注目されることが多かったですが、それもすべて「健斗のおかげ」と高橋藍選手は言ってました。

このコンビは高校2年生から、練習していたのですが、最初はなかなか息が合わず、本来の力を発揮することができませんでした。

でも練習を繰り返すことで、早さと高さが活かせるコンビになったのですが、その矢先、中島健斗選手が右肩を負傷し、3カ月ほどリハビリする事になってしまったのです。

このようにさまざまな苦難を乗り越え、春校バレーでは圧倒的な攻撃の強さで、優勝することができたのです。

高橋藍選手いわく『ここは上げてほしい』というところで、中島健斗選手がドンピシャにくれるんです。

「健斗の判断力とか、上げるタイミングが僕にとっては完璧すぎて、いつか将来、健斗と日本代表で世界を相手に戦えたら最高ですよね」とコメントしています。

中島選手の取材では、よく高橋選手の話が出て、そのたび「藍はすごい」「あんなアタッカーとできて、自分が成長させてもらった」と繰り返していました。

一方高橋藍選手も「健斗はすごい」「健斗とできたから自分が成長できた」と話していましたから、この2人のコンビネーションは最高ですよね。

高橋藍がバレーを始めたきっかけ

高橋藍選手の兄も、バレーボール経験者で、高橋藍選手がバレーボールを始めたきっかけには、兄が大きく影響してる様です。

兄も同じく京都府の東山高校で、キャプテン兼エースとして活躍し、卒業後は日本大学へ進学し、バレーボールを続けています。

2歳年上の兄が先にバレーボールを、始めたことをきっかけに、高橋藍選手も小学2年生のころからバレーボールを始めています。

高橋藍の得意技

身長は188㎝と長身の高橋選手は、スパイクを得意とします。

さらに、もっとすごいのは、最高到達点が3mを超えるほどの、ジャンプ力を武器としています。

あなたもネーショングリーグを視聴したと思いますが、高橋藍選手のジャンプ力は凄かったですよね~

もう1つの得意技はコンビネーションプレーで、中島健斗選手とのコンビで東山高校を初優勝に導きました!

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高橋藍これまでの経緯

高橋藍選手は、小学2年生からバレーボールを始めました。

中学は京都市立蜂ヶ岡中学校で、1年生の時のポジションはリベロを務め、3年連続で全日本中学校選手権に出場しました。

高校生になった高橋藍選手は、春高バレーで、東山高校が初優勝しました。

【18歳・19歳】
●2020年東京オリンピックに出場しました。
●バレーボール日本代表国際親善試合-東京チャレンジ2021の2日目の試合で、19得点の活躍を成し遂げました。
●ネーションズリーグ2021は、ほぼスタメン出場を果たしました。
5月29日のオランダとの第2戦で、26得点を決めてベストスコアラーとなりました。
●アジア選手権に出場して準優勝でした。

●イタリア・セリエAのパッラヴォーロ・パドヴァに、2021~2022シーズン終了までの期限付きで入団しました。
●2022~2023シーズンも、パドヴァとの契約を更新しました

【2023年6月/21歳】
イタリア・セリエAのヴェロ・バレー・モンツァとの契約を発表しました。

ネーションズリーグで、銅メダルを獲得したバレーボール日本代表ですが、イケメンの高橋藍選手のフィーバー熱は、フィリピンでも高かったですね。

日本が会場入りすると、すごい歓声に包まれ、その熱狂ぶりは会場だけにとどまらず、大会中に泊まったホテルでも写真撮影などを求められたそうです。

その状態を予期していたフィリピンの協会から、藍にはSP(警護官)が常時1人、会場では5人ほどが用意されたとのことで、部屋から出る事も出来なかったそうです。

ファン対応は、最終戦までは試合に集中するため、控えていましたが、最終日だけは写真撮影など対応しましたが、予想を超える熱狂ぶりで、ファンとの間に置いたフェンスが倒れてきそうで、SPも対処できず高橋藍選手は5分足らずで控え室に戻されたそうです。

ハーフの様なルックスの、イケメン高橋藍選手のお陰で、バレーボールに興味を持った方がこれからも増え続ける事でしょう

高橋藍選手の今後の更なる活躍を期待します。

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miu
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