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植物

紫竹ガーデン女社長94歳で逝く!観光ガーデンが出来るまでの経緯

北海道帯広市にある紫竹ガーデン社長が、2021年5月6日94歳で永眠されました。

年間10万人ほどが訪れ、1万8000坪の土地に2500種もの花々が、咲きほこる人気の観光ガーデンです。

この記事ではなぜ、高齢の女性がこんな観光ガーデンを作ったのか、その思いや経緯を調べてみました。

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紫竹ガーデン女社長94歳で逝く

「帯広に野の花が自由に咲くお庭を」をコンセプトに、1万8000坪の土地に2500種もの花々が咲きほこる紫竹ガーデン。

年間10万人ほどが訪れる、人気の観光ガーデンの創設者である、北海道帯広市の名物観光庭園「紫竹(しちく)ガーデン社長で、「紫竹おばあちゃん」の愛称で親しまれた、紫竹昭葉(あきよ)(本名=昭代)さんが4日、帯広市内の自宅で死去しました。

紫竹さんは、トレードマークの花柄の服や、帽子姿で観光客をもてなし、気さくな人柄で親しまれてました。

紫竹ガーデン専務で、長女の隈本(くまもと)かずよさん(73)によると、4日午前、自宅の庭で日課の作業をしていて倒れました。

左手にコリアンダーの種、右手にスズメにあげるパンくずを握っていたという事です。

大好きなお庭での作業中に、病魔が紫竹さんを襲ったのですね…

死因は大動脈瘤破裂だったそうです。

観光ガーデンを作ろうと思ったきっかけ

季節ごとに違った表情を見せる紫竹ガーデンは、夏から秋にかけて特に見どころがいっぱいです。

そもそも紫竹さんはなぜ、こんな壮大な観光ガーデンを作ったのでしょうか?

紫竹さんは56歳のときに最愛のご主人を亡くされました。

「あんなに素敵な人はいない」と言うほど仲睦まじい夫婦でした。

ご主人を亡くしてからの紫竹さんは、泣いてばかりで抜け殻のようだったそうです。

それを見かねた長女・隈本(くまもと)かずよさんが、母に掛けた言葉が「お父さんはお母さんのことを、太陽のように明るい人だって言っていたわよ」

紫竹さんは娘かずよさんから、掛けられたその一言に、目が覚め「もう一度自分らしい生き方を探そう」と決意しました。

そして辿りついた答えは、「幼いころに遊んだ帯広の野原を蘇らせよう。花咲きほこるお庭をつくろう」でした。

最初は紫竹さんの夢に家族も反対でしたが、かずよさんの夫の「夢を見るのも才能かもしれない」という言葉に、家族は一変し協力することになりました。

紫竹ガーデンが出来るまでの経緯

こうして庭園を作る事を決め、家族の強力も得られる様になった紫竹さんでした。

その後、紫竹さん60歳のとき、帯広市郊外に1万8000坪の土地を購入しましたが、そこは耕作放棄地でわずかな防風林があるだけでした。

この東京ドームより少し広いくらいの土地を、一から整地する必要があったのです。

この時点で普通なら「やはり無理」と大抵の人は夢を諦めますが、紫竹さんは違いました!

やると決意し念じたら、なんと願いが通じたのです!

「野原をつくりたい一心で土地を購入して、あとになって『大変なことになった』と気がつきました。でも神様っていらっしゃるのね。協力者が現れました」

紫竹さんの実家の建設会社の関係者が、重機や資材を持ち込んで駆けつけてくれました。

「紫竹さんのお父さんとご主人には、お世話になったので恩返しがしたい」となんと無償で、手伝いを買って出てくれたのです。

そして何日かのうちに、庭の原型ができあがったのです。

紫竹ガーデンの基本設計は奥峰子(おくみねこ)10mannninnさんが担当してくれました。

なんと奥さんは新宿御苑の移植計画や、グラバー園の改装計画に携わったガーデンデザイナーです。

イギリスやベルギーで勉強し、ナチュラルガーデン設計を得意とする有名な方なんです。

「お庭の設計をする人はいるけれど、野原の設計となるとそうはいません。知り合いから奥さんの話を聞いて、東京の個展を訪れました。そこで見た”草花庭園”に目を奪われて設計をお願いしたのです」

その後奥さんは何度も帯広を訪れ、3年かけて庭の基本設計をしました。

その頃からかずよさん(紫竹ガーデン専務)も、庭の設計段階から庭づくりに関わるようになっていきました。

庭の基本設計を終えた後、奥さんからこんな言葉を頂きました。

「私が基本設計したお庭ですが、明日からは紫竹さんのお気持ちが、このお庭を作っていくんです。紫竹さんのお気持ちで花を咲かせてく下さいね」

この「花に気持ちが伝わる」という言葉を今でも、心に留め置いているという事です。

本当にその通リで、愛情いっぱい掛け丹精こめて育てれば、植物は綺麗な花をいっぱい咲かせてくれますよね

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紫竹ガーデンオープン

こうして1992年、紫竹ガーデンはオープンしました。

でも観光ガーデンが一般的でなかった当時、入場料だけで経営を維持するのはむずかしかったので、庭や花壇づくりの営業や講演会など、紫竹ガーデンを維持するために北海道中を走り回ったそうです。

紫竹さんは夢を実現する為に一生懸命努力されたんですね

そのかいあって 次第に多くのメディアに取り上げられるようになり、初年度の入場者2000人ほどから、毎年倍々に増えていき、十勝を代表する観光スポットにまでなっていきました。

紫竹さんのおもてなしのひとつは、花をモチーフにした華やかなファッションで、お客さまを迎え「一緒に写真を撮りたい」というリクエストにも、1人ひとりに笑顔で寄り添って応えます。

紫竹ガーデンの植物の育て方

紫竹さんは60歳で庭づくりを始めてから33年もの間、1日も休むことなく花々のお世話と、ガーデンのお客さまの案内を続けてきました。

紫竹ガーデンでは無農薬、無肥料栽培にとどまらずなんと無散水栽培なんです!

水やりはこの14年間、1度もしていないというから驚きました。

「どんなに暑い日が続こうとも、『お水がほしければ根っこをのばしてお取りなさい!』と草花に向かって声をかけるだけ、水やりをしない理由は植物の能力を信じているから」と話されてました。

雑草を見つけても、花に雑草が覆いかぶさらない限り、むやみに除草はしない。

花たちと雑草たちが、織りなす景色が美しいと考えるからです。

紫竹ガーデンの雑草は、庭の重要な役目を果たしてるんですね~

またガーデンのおよそ90%には宿根草(しゅっこんそう)が植えられています。

宿根草とは植えっぱなしでも、毎年開花する草花や球根植物のことです。

自宅のお庭でも宿根草を植えておけば、毎年季節が来れば綺麗な花を咲かせてくれますよね

「紫竹おばあちゃん」プロフィール

紫竹昭葉(しちくあきよ)

1927年北海道帯広市生まれ。
60歳のときに野の花が自由に咲く、お花畑のようなお庭をつくることを決意する。
1992年帯広市郊外に紫竹ガーデンをオープンする。
紫竹ガーデンを運営する会社社長として、長女夫妻とともに園内の花々の世話、訪問客の案内のほか、帯広や北海道観光に貢献する事業に積極的に関わる。
「紫竹おばあちゃん」の愛称で親しまれ、全国に多くのファンがいる。
2005年「花の観光地づくり大賞」、2015年「園芸文化賞」、2018年「北海道150年特別功労賞」受賞。
著書に『紫竹おばあちゃんのときめきの花暮らし』『咲きたい花はかならず開く』など。

※転載元  公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.95

紫竹さん本当に長い間お疲れ様でした。

そして素敵なお庭を多くの方に、見せて下さりありがとうございました。

ご冥福をお祈りさせて頂きます。

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miu
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