清元昂洋が初代清元斎寿襲名披露!三味線への思い・がん克服と完全復帰!

こんにちはmiuです。

ここ最近スポーツや将棋など、どんどん若手選手が成果を上げてますね

どの選手の記事を拝見しても、共通するのは、両親の思いで、3歳~その道のプロを目指して、練習に励んでます。

多分自分の意思ではなかったので、時には嫌になり、辞めたい時期もあった筈ですが、きっとそんな中で大きな目標を見つけ、努力されたのでしょう

今日は本日の「徹子の部屋」に出演される歌舞伎界の若手ホープの、清元昴洋さんにスポットをあててみました。

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清元昴洋が初代清元斎寿襲名披露

歌舞伎の世界は、私はわかりませんが、襲名すると言う事は、きっとかなりの実力が無いと、後継者にはなれないんでしょうね

2018年2月26日に東京・歌舞伎座にて、七代目清元延寿太夫襲名三十周年記念「延寿会」が開催されます。

本会にて清元昂洋が初代清元斎寿を襲名します。

清元節とは、江戸時代後期に生まれた、豊後節系浄瑠璃の1つであります。

本公演はその清元宗家の当代(七代目)襲名30周年と、六代目の33回忌という節目の年に行われます。

七代目清元延寿太夫の、次男である尾上右近は、家元の延寿太夫が代々名乗った前名・栄寿太夫を襲名します。

長男で清元三味線方の清元昂洋は、初代の清元斎寿となります。

同会の第1部「助六」にて2人は襲名披露を行い、第2部では襲名口上を披露します。

清元昴洋と三味線

清元昴洋さんは、歌舞伎清元(江戸浄瑠璃の一派)の三味線方として、歌舞伎座(東京都中央区)の他、毎月のように舞台に出ておられます。

「三味線に出合うまでは辛かった」と言われてますが、清元宗家、七世清元延寿太夫(えんじゅだゆう)の長男として、3歳から唄の稽古が始まりました。

「清元節は技巧的高音が特徴ですが、僕はもともと声が低く高い声が出なくて、父から稽古のたびに怒られ、よく泣きました。」と言われてます。

7歳からは清元美治郎(よしじろう)師匠に入門し、本格的に三味線の修業も始め、やっと居場所を見つけた様です。

「美治郎師匠の教えで、三味線が好きになりましたし、現在も公私とも大きく受け止めていただき、感謝しています」とコメントされてます。

三味線弾きになると決めたのは中学3年の時でした。

きっかけは歌舞伎座で父が出演していた「保名(やすな)」を見た折、清元の演奏の素晴らしさに、感動しそこでプロになる決意を公言したのです。

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清元昴洋がん克服・完全復帰

病魔はいつ誰に襲って来るかわかりません

明日は我が身と思うと、本当に怖くなりますが清元さんも25歳の時に、2009年に10万人に1人という、珍しいガン「粘液性脂肪肉腫」にかかり、余命3ヶ月という宣告を受けます。

京都・南座の歌舞伎興行に出演中、下腹部に大きな悪性肉腫が見つかりました。

手術して入退院を繰り返しましたが、抗がん剤治療の最中も、三味線は必ず手の届く場所にありました。

病室の天井を眺めながら、三味線のない人生なんて考えられない自分がいたと言われてます。

清元昴洋さんは、清元宗家、七世清元延寿太夫(えんじゅだゆう)の長男で、弟は歌舞伎俳優の尾上右近さんです。

3歳で清元の稽古を始め、歌舞伎の初舞台は16歳でした。

順風満帆の人生のはずが、病魔で一転してしまいますが、ようやく抗がん剤治療も終わり、最近は多忙を極めておられます。

「足の切断で正座が出来なくなる、と言われたことを思えば夢のようです。」

「来年は清元誕生200年の節目ですので、清元節の繁栄に尽力するのが僕の使命です」と心強いお言葉です。

「もっと稽古を、もっと上手に、という欲が日を追うごとに強くなりました」と言われてます。

素晴らしいですね、無理をなさらず頑張って頂きたいです。

逆境を乗り越え、前向きに頑張ってる清元さんのご発展をお祈りします。

今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。

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