向井亜紀19年間のがんを克服した?代理母出産・子供達の現在と名前の由来が判明

おはようございますmiuです。

タレントの向井亜紀(54)さんが、都内で行われたガンとの、共生社会を目指す「ネクストリボンプロジェクト2019」に出席し、これまでに18回もの大手術を経験し、19年間、がんと闘い続けてきたことを明かしました。

妊娠と同時にがんが見つかり、子宮を全摘出し出産が出来ない身体になり、そのショックがストレスになり、感染症にかかり長い闘病生活を繰り返してました。

その後どうしても子供が諦めきれず、代理母出産で待望の我が子を授かりましたよね

今日はそんな向井さんの、これまでの経緯を見ていきましょう

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向井亜紀がんとの闘い

向井さんは2000年に妊娠を、きっかけに子宮頸(けい)がんが分かりました。

この時の子宮頸がんはステージ5でした。

結局、赤ちゃんを生むことが出来ず、2000年の手術から精神的に、ショックを受けいろんな感染を、引き起こしてしまい、それから18回手術を受けました。

2006年には、子宮摘出によって機能を失っていた、右腎臓を摘出しています。

18回も手術してよく、生きてられたと思います。随分辛く苦しかった事でしょう

18回目は2013年のS状結腸がんでした。

それからは大きな手術は受けていませんが、1年に1回内視鏡検査をしていて、いつも小さながんが見つかっていました。

最初にがんが発覚した、2000年当時を振り返り、「子宮頸がんへのいろいろな偏見が色濃くあった」とはなしてました。

「その頃に比べると、婦人科検診、子宮頸がんの検診を受けることの、ハードルが低くなっているなとは思います。検診のおかげで辛い思いもしたけど、今なお、元気な状態を手に入れることができた」と健診の重要性を訴えました。

今回は「なんと先週受けた内視鏡検査で、胃にも十二指腸にも腸にも、大腸にも1つも摘み取らなくちゃいけないがんがないという、初めての大合格の検査結果が出ました。2000年に手術してからこういう結果も初めてだったので、今、とてもうれしい。健康な状態です」と満面の笑みを浮かべました。

本当によかったです。

子供たちの為にも、このまま再発せず過ごせたらいいですね

向井亜紀の代理母出産

子宮頸がんにより一度は、出産を諦めてしまった向井亜紀さんですが、2002年8月「高田延彦さんの優秀な遺伝子を残したい」との理由で、代理出産依頼のためアメリカ合衆国・ネバダ州へ渡ります。

子宮頸がん手術の2年後に、代理母出産を考えたのには、やはりご夫婦の強い思いがあったのでしょうね

しかし、もしがんが再発したらという不安はなかったのでしょうか?

8月、12月と2度、体外受精による胚を代理母サンドラの子宮に、移植し着床を試みるが失敗してしまいますが、翌年2003年、新薬による成果で奇跡的に卵子が3つ採卵でき、高田延彦さんの精子と体外受精を行い、胚を代理母シンディの胎内に移植したところ、2つの胚が着床に至りました。

そして2003年11月に代理母、シンディの帝王切開出産により、双子の男児が生まれました。

双子となれば、病弱な体の亜紀さんにとって、育児の負担は大きかったのではないでしょうか?

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向井亜紀の子供たちの名前の由来

子供たちの名前は、代理母を引き受けてくれた、アメリカ人・シンディ・ヴァンリードさんの名前から「ばんり」をもらい、代理出産という長い道のりを、太く結んでくれたという意味で「ゆうた」と名付けたそうです。

子供たちの戸籍に関しての、質問に対して向井亜紀は「アメリカ人であろうが、日本人であろうが、実の親子であろうが、養子であろうが、自分たちが親子であればそれでいい。紙の上のことは後付けでいい。本当の家族であることに変わりない」と宣言し、父親である高田延彦さんも「法改正に頑張ろうという気持ちはない。今あることが僕たちの家族のスタイル」と答えました。

あれから12年現在は中学生となった、向井さんの子供たち、万里くんと結太くん。

向井さんと高田さんは、代理母出産で生まれてきたことを正直に伝えてきたそうです。

「少なくともここまでは、子どもたちに正直に伝え続けて、よかったと思っています。命を大切に生きていってほしい。本当にもうそれだけです」とブログに綴っていました。

子供たちが素直に育ち、立派に成人する事を願っております。

今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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