福原愛・引退を決意するまでの葛藤は?4歳で1000本ラリーを成し遂げてから現在まで

  こんばんはmiuです。

1024日、卓球の福原愛さんが現役引退を発表しました。

リオ五輪以来、選手活動はしていなかったので、実質的には2年前に引退をしていたようなものですが、この度、正式に引退を表明した形です。

子育てをしながら、引退を決意するまでには、色々な葛藤があったはずですよね

どんな心の動きがあったのか見ていきましょう

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福原愛・卓球との出会い

福原さんがメディアに登場したのは1993年、福原が4歳のときで、卓球台からやっと顔を出す愛くるしい少女が年上の小学生たちを次々倒し勝ち進む姿に、日本中の視聴者が魅了されました。

しかし、一部の卓球人は、それとは別の衝撃を受けていました。

それは、福原さんの一日4時間、多い日には8時間という信じがたい練習量でした。  

そもそも、4歳児に卓球をさせるという発想自体がなかった。

「7、8歳から始めなくては遅い」とは言われていたものの、だからといって4歳から始めれば、もっと効果があるとは誰も考えませんでした。

効果があるかどうか以前に、そんなことは「できない」と考えるのが普通でしょう。

福原愛の驚きの「1000本ラリー」とは?

また福原さんが、卓球人を驚かせたのは、その練習内容でした。

福原さんは4歳で、1000本ラリーをしていたのですから仰天しますよね

1000本ラリーとは、1000往復、一度もミスをすることなく、ラリーを続ける練習で、途中でミスをすれば最初からやり直すというものです。

球史に残る過酷さで知られる、1965年世界選手権リュブリアナ大会前の、日本代表合宿で監督の荻村伊智朗(世界選手権金メダル12個、後に第3代国際卓球連盟会長)が全選手に課し、朝の3時までかかって完遂したという練習でした。

ボールを見続けているうちに、目は乾き遠近感はなくなり、腕も手もこわばり、ミスの恐怖で緊張が全身を襲います。

実戦における有効性には疑問がありますが、その困難さは筆舌に尽くしがたいものです。

中級以上の卓球選手でも、やったことがある人は多くはないです。

福原さんはそれを4歳6ヶ月で成し遂げ、あろうことかその後、毎日、練習の最初にこのラリーを必ず「できるまで」やっていたのです。

それは比類なき安定性を身に着けるためです。

この練習の意味するものを知る、卓球人にとって途方もない衝撃でした。  

福原選手の成功はこのような幼児期からの激しい訓練が、可能であることと、それが有効であることを否応なしに示していました。

福原選手の日本卓球界に与えた、影響は計り知れないものです。

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福原愛は「天才」だったのか?

福原選手は卓球にすべてを捧げてきました。

期せずして背負った日本の卓球界を、盛り上げるという役割をも十分すぎるほど果たしました。

福原選手が卓球に費やした情熱と、時間は想像もつかない程でした。

どれほど重圧に苦しみ、緊張に震え、敗戦に泣いたことでしょうか? 

福原選手は子供の頃、マスコミから「天才卓球少女」と呼ばれておりました。

4歳児が毎日1000本ラリーができたのだから、まさに天才少女でしょう

福原愛の引退を決意するまでの葛藤

選手生活を続けるか引退するかは日々考えていて、旦那さんに相談することもあり、理解をしめしてくれたので、引退に踏み切ったのです。

石川佳純、伊藤美馬、平野美羽、などなど世界ランカーが次々と誕生しています。

その選手らと五輪を闘ってきましたので、選手の頼もしさを1番知っているのが福原選手だったのです。

  • 次世代の選手達が大きな成長を遂げ、日本の卓球界全体が以前より、盛り上がってきてます。
  • 自分が選手としての立場で、やるべき使命は果たせました。
  • 私は選手としての立場を、ここで一区切りつけることを決意し、次のステップへ進もうと思いました。

と自身のブログにも現在の気持ちを綴っておりました。

「天才卓球少女」と呼ばれて23年、福原選手が卓球界に残したものは、とてつもなく大きなものでした。

引退会見での表情はとても晴れやかで、重くのしかかっていた重圧から、やっとときはなされたようでした。

 愛ちゃん、本当にお疲れ様でした。

そしてこれからは、家族3人で暖かい家庭を築いて下さいね

今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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