デヴィ夫人波乱万丈の人生とは?妊娠中にクーデターが起ったが亡命に成功した

  こんにちはmiuです。

前回の記事では、デヴィ夫人が19歳で、美貌と聡明さを買われ、インドネシアの大統領に求婚され、日本を離れ、遠い異国の地で働く事になったのですが、その後は波乱万丈な人生ドラマがありました。

デヴィ夫人はこの後どの様にして、苦難の道を乗り越えてきたのでしょうか?

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スカルノ大統領の第三夫人となったデヴィ夫人

インドネシアに渡った直後は「愛人」の立場でしたが、聡明だった七保子(デヴィ)さんは、英語も事務処理もてきぱきとこなし、スカルノ大統領にとって、かけがえのない有能なパートーナーとなり、渡米3年後には正式に第三夫人となっています。

インドネシア名:ラトナ・ サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)と呼ばれ、第三夫人となったデヴィ夫人です。( 旧姓:根本七保子)

日本では考えられない事ですが、インドネシアは一夫多妻制で重婚が出来るんです。

そしてスカルノ大統領の第三夫人になったことが、日本でもニュースで取り上げられ、取材陣が連日のように、デヴィ夫人のお母様のところへ押し掛け、大変な騒動になっていました。

こうしてマスコミなどの、取材攻勢に神経をすり減らし、すっかり体調を崩していたお母様が、亡くなられてしまいました。

更に追い打ちをかけるかのように、お母様の死からわずか2日後に、デヴィ夫人が可愛がっていた弟さんまでが、亡くなっててしまったのです。

その後ジャカルタの宮殿の一つに、弟さんの名前が付けられていましたが、革命後に接収され、軍事博物館になっているそうです。

軍事クーデターが起きた

軍事クーデターが起きたのは、お母様と弟さんをなくした3年後(1965年)のことでした。

テレビの歴史ヒストリー番組で、デヴィ夫人ご自身が明かされた、クーデターに関する驚くべき事実がありました。

クーデターの真っただ中、大胆にも敵将スハルト将軍に面会を求め、直接会ったデヴィ夫人は、「クーデターを辞めるよう」に要請したと言うのです。

普通ならそんなことを考えつくなんてまずあり得ません。

一つ間違えば殺されてしまう危険もはらんでいたのに・・・と驚きました。

しかしデヴィ夫人の願いは叶わず、スカルノ大統領は失脚し、軟禁状態に置かれてしまいました。

それにしてもデヴィ夫人の凄さを垣間見て、強靭な精神力と並外れた行動力には頭が下がりますね

普通女性の多くは、ただ祈ることくらいしかできませんよね。

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デヴィ夫人が海外に亡命した

デヴィ夫人は当初、インドネシアの日本大使館への、亡命を希望されていました。

しかし政治的な理由があり断念されたそうです。

デヴィ夫人や第一夫人は、スカルノ大統領の元を離れ、それぞれ国外に逃亡しています。

3年後、インドネシアでクーデターがおき、スカルノ大統領は失脚し、デヴィ夫人は、大変な運命にみまわれながらも無事に逃れ、日本で娘さんを出産後、フランスに亡命されました。

デヴィ夫人は、フランスでも、あの美貌ですから幾度となく、ロマンスが囁かれたことがあるらしいのですが、再婚はされていません。

スカルノ大統領からの遺産分与は?

クーデターの5年後に、スカルノ大統領の死亡が伝えられました。

スカルノ大統領はクーデターを予期していたらしく、スイスに巨額の資金を確保していたようですが、資産分与に関しては二転、三転しながら、最終的にはインドネシア政府の方針により、デヴィ夫人は第三夫人としての遺産分与を受取られています。

こうしてデヴィ夫人は巨額の富を手にいれたのです!

スカルノ大統領の死後、デヴィ夫人の類まれなる美貌は「社交界の華」と言われ、その容姿で多くの政財界の要人と浮名を流していました。

1980年にはインドネシアに戻りましたが、デヴィ夫人の居場所はなく、ニューヨークに移動したおかげで、その後のインドネシア動乱・・・第一夫人と第二夫人の争いに、巻き込まれることはありませんでした。

こうして危うく難を逃れたのでした。

クーデターが起きた時は妊娠中だったなんて、よく無事に日本に帰れましたね~

そして一人で出産し、大統領亡き後、世間の目にさらされながら、女手一つで子供を育ててきたわけですね

凄い精神力だと思いますね

現在78歳になられたデヴィ夫人ですが、いつまでもお元気で活躍される事を願っております。

今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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