ノーベル賞受賞2018日本人・本庶佑氏の研究は?がん患者を救う免疫療法だった!

 こんにちはmiuです。

昨日ノーベル賞受賞が発表され、本庶佑氏が、ノーベル医学生理学賞を受賞されました。

本庶氏の発見は、さまざまな臓器のがんに効果が認められた、治療薬「オプジーボ」として実用化され、免疫の力を強め、がんと闘う「がん免疫療法」の時代を切り開きました。

研究は22年もの長い歳月を費やしてますが、こノーベル賞受賞に至るまでの本庶さんの、経緯をたどってみました。

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本庶氏の生い立ち

本庶氏は、1942年京都市生まれの76歳で、父親の仕事の都合で、高校まで山口県宇部市で育ちました。

小学生の時は、先生が天体望遠鏡で、土星のリングを観察させてくれたことに感動し、将来は天文学者になりたいと思ってました。

子供はふとした事から、色んな事に興味を持ち、壮大な夢を描くものなんですね~

本庶氏の大学時代の発見は?

本庶さんは、大学の進路を決める頃は、医者か弁護士か外交官かで迷いました。

父親が医師だったこともあって、医学で研究者になるのが最も人の役に立てそうだと思い、1960年に京大医学部に進みました。

 医学部進学を選んだのは、父が医師だったことに加え、幼い頃に野口英世の伝記を読み、「医師として研究者として多くの人の役に立ちたい」と思ったことが強く影響しています。

しかし大学時代は、インターン闘争に明け暮れで、患者を診た経験はほとんどありません。

本庶氏の大学院時代の研究は?

本庶氏は、大学院では基礎医学である生化学を修め、恩師の早石修氏から、学問の進め方や、世界を相手にするという国際的な視野など、研究者として基本的なことをすべて学びました。

その後、東京大の助手だった1977年初めのことです。

学生の実習の監督をしながら、さまざまに形を変えた抗体の遺伝子を、調べた実験結果の意味を考えていました。

抗体は、「L鎖」と「H鎖」という、2本のたんぱく質でできています。

このH鎖側の一部を、この敵にはこの形、この敵にはこっちの形といった具合に、8種類のクラスに変化し、敵にあわせた最適な武器になります。

抗体を含むすべてのたんぱく質の作り方は、細胞の核の中にあるDNAという設計図に書かれています。

抗体が敵にあわせて姿を変える謎に迫るには、どこを読み取っているのか、その場所がどうやって決まるのかが重要です。

そこで、抗体を作っている細胞で、読み取られている設計図の領域、つまり活発に働いている遺伝子が、何なのかを調べました。

この頃から人間の遺伝子について、詳しく研究をし始めたのですね

人間の遺伝子って本当に未知の世界ですよね

米国に留学し、帰国後の研究は?

本庶氏は、大学院を出てからは米国に留学し、1974年に帰国しました。

帰国後の研究テーマで、選択肢は二つありました。

一つは大学院時代にしていた毒素の研究です。

それなりの評価を受けていて、これをもう一度やるべきだという助言をもらいました。

もう一つが、免疫の抗体が敵にあわせて、どうやって形を変えているのかの解明です。

こちらは世界中で競争が激しく、ものになるかどうかも分かりませんでした。

でも、どうせ一生をかけるならリスクが高くても、自分がやりたいことをすべきだと考えました。

まとめ

1人の医師が、一生涯の間に治療する患者の数は限られますが、新しい治療法を開発すれば、その可能性は無限大で、世界をも救うことができます。

本庶氏は、身をもってそのことを示し、がん患者に希望を与えてくれました。

発見は、さまざまな臓器のがんに効果が認められた、治療薬「オプジーボ」として実用化されます。

そして免疫の力を強め、ついにがんと闘う「がん免疫療法」の時代を切り開いたのです!

免疫療法でがんを治す方法は、以前から聞いた事はありましたが、効果は立証されてない様でしたが、この研究で、より多くの患者さんの命が救われる事になり、がん患者にとっては画期的な治療法で、本当に喜ばしい限りです。

早く一般の病院でも保険適応され、多くの方が使用出来る様になって欲しいです。

今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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